主催/小林喜一絵画集製作委員会
先の大戦で、グアム島より九死に一生を得て生還された、
小林喜一さんが戦後描きためた絵を一冊にまとめ、2018年自費出版する運びとなりました。
この度、絵画集より厳選した原画展を、靖國神社遊就館にて開催することとなりました。
是非この機会にご高覧ください。
小林喜一絵画集製作委員会
第二次大戦時、グアム島にてアメリカ軍と交戦、その後
捕虜となった小林喜一さんが、帰国されてから描きためた
絵画を展示することにより、グアム島における戦闘の苛烈さや生きることの厳しさ、戦争の愚かさを視覚的に感じてもらう事が、本展示会のコンセプトです。グアムでの戦闘、戦友たちの死、今回200枚以上描かれた中から厳選した作品を
ご覧いただきます。
ジャングルサバイバル
兵士たちがジャングルで食べたもの
「1944年8月に行われたグアムの戦いで、グアム島はアメリカの手に戻ったが、その後も生き残った一部の兵士は山中に撤退しアメリカ軍に対してゲリラ戦を行っていた。
ジャングルに逃げた敗残兵たちの糊口を凌ぐため、糖質をパンの実などの木の実、タンパク質は、野ブタ・ネズミ・トカゲ・牛・鹿などからとった。
ネズミは、調理できない時は生で食べることもあったが、焼くと簡単に皮がむけ天日で乾燥させて保存食にも便利であったという。山猫を食べたという人もあるとのことであったが、猫は肉が少なく猫が寒がりなのが理解できたという。
蛇は少なく、毒蛙から慎重に毒を抜いて食べることが多かった。川のエビ、ウナギは大変なご馳走だったという。
しかし、採ればすぐ腐る食糧は常に不足し、猟をした痕跡も常に消さなくてはならなかった。調理のために火をおこすのも、人目につかない真夜中に穴の中で行うため耐えられない暑さと息苦しさであった。内臓を壊し、胃潰瘍などで何度も生死をさまよう。なにより、発見されるという恐怖感で熟睡もままならず、想像を絶する、過酷な生活であったという。
マラリア蚊・毒蛇・毒虫が居ないことは、生き残るためには幸いしたが、ジャングル内は常に不快である。渓谷は風の通りが悪く、更に密林に入れば全く風はない。猛烈な蒸し暑さと息苦しさが、あたりを取り巻いていた。しかも、密林をよく見ると食糧になりそうな山の幸が見当たらない。かろうじて、川の中にザリガニたちが泳いでいるだけであった。」
※絵画集より抜粋
大正13年12月7日
長野県に生まれる
昭和17年5月
横須賀海兵団入団(17歳)
昭和17年9月
第86期 普通科 整備術練習生となる
昭和17年11月
相模野海軍航空隊 附
昭和18年3月
第86期 普通科 整備術練習生 卒業
百里原海軍航空隊 附(18歳)
昭和18年9月
第五〇二航空隊(茂原飛行場で編制)附
昭和19年2月
第三二一航空隊 附(19歳)
昭和19年4月
横須賀発「美作丸」に便乗
テニアン基地へ向かう途中、魚雷に遭いグアム島に上陸
昭和20年8月15日 終戦
昭和21年11月 日本へ帰還 (21歳)
東京都国立市で警察官になる
その後、長野県庁の公務員として勤務
定年退職後も嘱託として、
80歳まで長野県庁の仕事を続ける
「南の島に眠る戦友へ」
グアムでの戦闘、戦友たちの死、そして逃避行を時系列で164枚の絵で綴った大作です。全ての絵には外国の方も理解できるよう、英文のキャプションもつけました。
一部1,000円(税込)
※会期中 遊就館売店にて頒布
※郵送も承っております
ホームページ内「お問い合わせ」よりご注文いただけます
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